
本シリーズのテーマは「研究者たちのBig picture」。彼らが研究の「先」に見る未来の社会とは?研究と私たちの暮らしはどう繋がっているのか? 彼らのビジョンが、私たち自身のこれからを考えるヒントになるかもしれません。
会話において相手と話がかみ合っていないと感じたり、その気はなくても「怒ってる?」と誤解されることがあります。理想のコミュニケーションとは何か、それが実現するとどんな未来が待っているのか、研究者であるAriさんに伺ってみました。

今回お話を伺ったのは
名前:Ari Hautasaari
所属:東京大学 大学院情報学環 特任准教授
ガラケーと留学生の誤解から始まった研究への道
▶︎コミュニケーションを研究テーマに選んだのはなぜですか?
フィンランドのオウル大学で情報処理学を専攻していた頃から、テクノロジーがコミュニケーションのプロセスやスタイルをどう変えるかに関心がありました。特に注目したのが、当時の日本のガラケーです。音声通話を越えて画像やテキストが飛び交い、「絵文字」という独自文化までをも生み出す様子に惹かれ、音声「以外」のやり取りが人間関係や生活にどう影響を与えるかを知りたいと思ったのが、研究の第一歩です。
さらにスマホなどでの自動翻訳が一般的になってからは、私の関心は「デバイスによる翻訳が、異言語間のコミュニケーションや関係構築にどう貢献するか」という、よりグローバルな視点へと広がっていきました。
▶︎その後、研究拠点を日本に移されたそうですが、現在の研究を始めるに当たって何かきっかけになるような出来事があったのでしょうか。
日本で大学の現場に関わるようになってからのことです。留学生がレポートを提出しましたが、文化や言語の背景(コンテクスト)の違いから、日本人の先生が「激励」のつもりで送った返答文が、その留学生には「全否定」されたように受け取られてしまうことがありました。 こうした言葉のすれ違いによる誤解が積み重なると、留学生にとっては大きな精神的ダメージになってしまいます。このような事例を目の当たりにしたことが、現在の研究を始める大きなきっかけになりました。

言葉と心の壁を越える多角的なアプローチ
▶︎具体的にはどのような研究に取り組まれていますか?
言葉やスキルの壁を取り払い、世界中の誰とでも自分らしくスムーズにやり取りするための研究を行っています。単なる情報の伝達にとどまらず、相手と心が通じ合っていると感じる「心のやり取り」のために何が必要かを模索しています。現在は価値交換工学において、主に2つのアプローチで仕組みづくりを進めています。
1つ目は、言葉やスキルの壁を越える「ボーダレス・コミュニケーション」です。たとえば、フリマアプリなどのC2C市場での出品を簡単にするため、ユーザーの「独り言」をAIが汲み取って商品説明文を自動修正するシステムや、言葉の通じない海外取引でAIが間に入って出品者の不安を解消する技術などを提案しています。
2つ目は、心理的なすれ違いなどの心の壁を越えて、誰もが取り残されないための「インクルーシブ・コミュニケーション」です。ここでは、チャットの既読スルーによる気まずさを防ぐため、AIがユーザーの状況を判断して気の利いた言い訳を自動提案するシステムを開発しています。ほかにも、メルカリなどの取引でユーザーが「丁寧」「単刀直入」といった好みの取引スタイルを事前に提示できるバッジ機能の検証や、多国籍な職場で文化の違いに配慮し合い、お互いが歩み寄れる会話をリアルタイムでサポートするAIツールの開発など、誰もが尊重し合える優しい環境づくりを目指しています。
▶︎Ariさんの研究をメルカリに応用すると、利用者にとってどんな良い点をもたらすでしょうか。
メルカリの利用者には、出品者と値段の交渉などやりとりの過程を楽しみながら買い物をしたい、という人もいれば、挨拶などは省いて最低限のやりとりで淡々と完了させたいという人もいます。このように、好みの買い物のスタイルには違いがあります。そこがすれ違ったまま取引が続くと、お互い悪気はなくても衝突の原因になりますし、売買成立後の評価に影響が出てしまうことにもなります。さらに、その体験はメルカリアプリ自体への満足度や継続利用にもつながっていきます。双方が納得できる取引になるかどうかは、不快感のないスムーズなコミュニケーションが行われるかどうかが鍵になるのです。

テクノロジーによって相手の好みに合わせた言葉遣いに翻訳できたり、コミュニケーションスタイルをとることができれば、取引中の無用なトラブルを減らせるはずです。これは、トラブルが起きたときの対応ではなく、トラブルを未然に防ぐという考え方です。この環境が整うと、日本語同士の取引のほか、日本語と他言語の間で取引を行う場合でもユーザーが安心して利用できるようになり、出品者も購入者も取引の相手を増やせます。その結果、メルカリは、世界中で信頼されるグローバルなプラットフォームへと進化していくのではないでしょうか。
▶︎なるほど、オンラインショッピングのさらなる進化には期待したいです。Ariさんの研究は、ほかの分野にもハマりそうですが、どのような分野を考えていますか?
家族関係が複雑な家庭における親子同士のコミュニケーションや医療や介護などへの応用も期待できるのではないかと思っています。さらに、遠隔地にいる人同士が言葉に頼らずお互いの心を伝えあえるか、という点に着目した研究も進めています。これは「HugBits」というプロジェクトで、筑波大学の研究者の方との共同研究として取り組んでいます。一方のクッションをハグすると別の場所にいる人が持っているクッションに抱擁の感覚が伝わり、その度合いを視覚的に表示することで心のやり取りをするというものです。実験では、相手とハグのタイミングが合うと、遠方でもそこに相手が本当にいるような感覚を強く感じられる、という結果がでました。
遠く離れた場所にいる家族や恋人同士が物理的な距離の壁を越えて、気持ちを伝えあえることが分かったのです。
▶︎コミュニケーションの手段は言語だけではない、ということなのでしょうか?
言語以外にもコミュニケーションの要素は存在しています。視線、表情、うなずきや、前後左右への身体の向きや動きなど、あらゆる仕草がコミュニケーションの一部なのです。これらは非言語コミュニケーションと言い、誰でも無意識に行っています。
成立するポイントは、その表情や動きが持つ意味をきちんと読み取れるかどうかです。例えば、身体を後ろに引いて眉間にしわを寄せるという動作には否定の意味があります。仮に読み取れないままコミュニケーションを続けると、お互いの理解に齟齬が生まれてしまいます。
それを解消できるテクノロジーによって異文化間での非言語コミュニケーションをサポートできれば、本当の意味でのコミュニケーションのバリアフリー環境が実現するのではないかと思います。
「トレードオフ」の先にある理想の環境
▶︎Ariさんが考える良いコミュニケーション環境とはどういうものでしょうか。
言語翻訳や音声認識が発展途上だった頃は、異言語間でのリアルタイムコミュニケーションは簡単ではありませんでした。その頃の私なら、テクノロジーによる正しい翻訳で言葉の壁を越え、誰もがコミュニケーションできること、と答えたと思います。
今はリアルタイムで翻訳もでき、生成AIに文章を作らせると本当に人が書いたかのように作ってくれるようになりました。言葉の壁は越えられたと言えるでしょう。ですが、生成AIが作った文章は学習した統計パターンに基づき自動的に選択した言葉をつないだもので、文章を作らせた人の感情は入りません。デバイスによる翻訳も同様に、正確な翻訳ではあるけれど、原文の作者の意図まで汲み取れず、込められた感情が間違って伝わってしまう可能性もあります。それを修正できないままコミュニケーションが進むと、相手との関係は壊れてしまうことにもなりかねません。
良いコミュニケーションとは、伝えるべき情報だけが伝達されるのではなく、双方の知識や考え方、感情といった背景情報まで含めて伝わることです。ですから今は、心の壁を越えお互いの意図が正しく共有できること、と答えます。
▶︎その理想(心の壁を越え、意図を共有する社会)を実現するための、先生ならではのアプローチがあれば教えてください。
「トレードオフの視点」です。つまり一方の利益を追求すると他方が犠牲になるという、両立不可能な関係のことですね。例えばテキストコミュニケーションで、「読みやすさ」や「効率」を優先し文を短くしすぎると、言葉の細かなニュアンスや感情表現が削ぎ落とされてしまうことがあります。短文は要点を素早く伝えられる利点がある一方、じっくり対話したい相手には冷たい印象を与え、誤解を招く原因にもなり得るのです。
こうしたトレードオフは、便利になった新たなテクノロジー全般にも必ず存在します。生成AIやメッセージアプリも例外ではなく、一見万能に見えますがその裏側には予期せず明らかになる「犠牲」や「不都合」が必ず潜んでいるのです。
私はテクノロジーの利便性だけを見るのではなく、その裏側に潜むトレードオフを見つけ出し、生じた欠落を別の技術で補完していくアプローチを重視しています。これが、すれ違いのない調和のとれた社会を目指すための鍵だと考えています。

フラットなチームが導く自分らしく調和できる未来
▶︎Ariさんは様々な研究を、多様な人とチームを組んで進めていますが、その理由はなんですか?
プロジェクトで担うべき役割は多岐にわたるので、その全てを私一人ではできない、というのが一番大きい理由です。仮にできたとしてもやり遂げるには膨大な時間が必要になります。研究で大切なのは、スピーディーに実行することですから、まずは行動し、見つけた課題をメンバー間のコミュニケーションで解決していけば良い。そうした多様なアプローチを素早く試せるよう、私たちはチームで動いているのです。
▶︎研究チームのメンバーはどのように集めているのでしょうか。そしてチーム内でのAriさんの役割は何ですか?
違う価値観や視点を持つ人たちが、同じ研究テーマに興味を持っているという共通項だけで集まってきます。私の役割は、自分の思い通りにプロジェクトを進めるのではなくチームにアドバイスをすることです。研究の方向性はメンバーから様々な意見を出してもらい、それを集約して決めていきます。私とチームメンバーに上下関係はなくフラットな人間関係なのです。フラットな関係でのコミュニケーションでは、忌憚のない意見や粗削りでも光るアイデアを出しやすくなります。その波及効果で、コミュニケーション研究をするチームAで出たアイデアが、異なる分野の研究チームBにインスピレーションを与える、ということがよく起こります。
▶︎Ariさんの研究がもたらすコミュニケーションの未来はどのようになるでしょうか?
相手との立場の違いが影響し、伝えたいことをきちんと伝えられない場面や、慎重に言葉を選びすぎた事務的な文面のせいで、意図しない冷たい感情として受け取られてしまう、という場面があると思います。例えば、職場での悩み事を相談するときなどです。
相手への配慮をしながらコミュニケーションをとることは必要ですが、そのような場合でも、変な遠慮がなく、伝えるべきことをきちんと相手に伝えられる環境になっていることが理想です。私はその実現に向けて一つのアイデアを持っています。それは、スムーズなコミュニケーションになるよう、つまずきがちな会話の「最初の一歩」だけを自然な形で後押ししてくれるような、コミュニケーション支援のテクノロジーです。
これが当たり前になる未来では、お互いを尊重し合いながら主張も上手にできる、理想のコミュニケーション環境が現実になると思います。それは、相手への配慮と自分の主張が両立するトレードオフがない調和のとれた社会なのです。
▶︎コミュニケーションのすれ違いは時に悲劇を生みます。それはSFアニメなどで、敵意のないサインが誤解されて星間戦争へと発展してしまう展開にも似ています。こうした「すれ違いの構造」に技術でアプローチするAriさんの姿勢が、非常に印象的なインタビューでした。Ariさんの研究が実を結ぶと、相手を尊重しながら自らの主張も行いお互いが納得できるポイントに落ち着けるコミュニケーションを、誰もが享受する社会が待っていると感じました。Ariさんのトレードオフの視点と今後の活動にこれからも注目したいと思います。本日もありがとうございました。
価値交換工学広報 河中